心の中を覗いてみれば。

日々の生活じゃ言いにくいことや、流れてしまうこと。

「正しい」についての話をしよう

昔、遠い東の地の果ての島国に、

討論好きの青年がいました。

 

大学を卒業したばかりの彼は、世の中の就職の流れに反発し、

就職もせずふらふらしてしていました。

 

多くの若人がそうであるように、青年もまた、

これからどのように生きるべきか悩んでいました。

 

ある日、青年の元に後輩の女の子からの連絡があり、

久々に会うことにしました。

一年ほど前に、同じサークルで一緒だった彼女は、

ふんわりした、たんぽぽのような雰囲気ながらも、しなやかの芯のある娘でした。

 

青年「お待たせ」

 彼女「ううん」

 

駅の改札で待ち合わせた2人は挨拶もそこそこに歩き出しながら、近況を話し出した。

歩きながら良いサンドイッチスタンドを見つけた2人はミラノサンドと、スモークサーモンサンドと紅茶を買って近くの公園頬張りながら話し始めた。

 

就職活動を迎えた彼女と、未来を模索する青年の話はやがて仕事に何を求めるのかという流れになっていった。

 

青年「僕は、今人生で何をしたら良いか全く分からないけど、大学を卒業して1年とにかく何かをして食べて行かなきゃいけないという事に気付いたよ。」

 

彼女「何かしたいお仕事とかあるんですか?」

 

青年「何がしたいかは分からないけど、納得感のある事がしたいな。世の中の汚さ、営業トーク等納得の行かないことばかりだ。だから自分が納得いかないことはしたくない。」

 

その後、青年はとうとうと納得の行かないことを並べ立てた。

しばらく話を聞いていた彼女は青年が一息付いたタイミングで口を開いた。

 

彼女「先輩は、どこかに正解があると思ってないでしょうか?答えがある前提で喋っているように聞こえます。」

 

青年「確かに、そうだ。僕は無意識の内に正しいこと・本物があると思い込んでいた。

ただそうなると、本物ってなんやろね?ただ絶対的な正しさなんてありえないから、ただの僕の好き嫌いなのかな。でも、僕は本物ってある気がどうしてもしてしまう。」

 

彼女「どんなことですか?」

 

青年「例えば、自分の意見を持ってる人は本物だとどうして思ってしまう。」

 

彼女「でも、私もそう思います。自分の意見を持ってる人の方が好きです。」

 

青年「やっぱり、単に好きか嫌いなのかな?でも好きか嫌いだけじゃない、これは正しいって思う意識があるんだよなぁ」

 

彼女「うーん、例えば私は、他人の意見に流されて、八方美人でイジメられている人を見て何か自業自得と思ってしまうんだけど、それは親の影響か大きいかも。」

 

青年「例えば、いじめられている子供を助けるのは正しいのかな?それは社会正義な気がするけど、助けることによって他の子がまたいじめられるかもしれない。そうするとその子を助けるのは正しいのかな?この時の正しさはなんだろう?」

 

彼女「でも、私は小さい頃、クラスで浮いてる子やイジメられそうな子に積極的に話しかけていってたのね。その時いじめられるのを助けるのが正しいと思ってたのは昔、私がいじめられたことがあって、その浮いてる子が嫌だろうなと思った事と、周りの親、先生、その時読んでた小説・漫画でイジメを助けるのが正しいとされてたからかもしれない。漫画では主人公がいじめられてる子を助けると必ずハッピーエンドになってたから、単純かもしれないけどそこから影響を受けてたのはあったと思う。」

 

続く。

 

 

 

 PS、

最近、書店で、

「嫌われない勇気」という本をよく見かけます。

アドラーの思想を対話形式で分かりやすく、岸見一郎先生が解説して下さっています。

今回はその対話形式を取り入れて書いてみました。まだまだセリフが長いですがおいおい編集していきます。